高知駐屯地祭番外編。
今日は、一昨日行ってきた高知駐屯地創立47周年・第50普通科連隊創隊7周年記念行事の番外編として、記念行事に参加するついでに行ってきた、南国市内での寄り道のお話をば。
なお、長文にするつもりはなかったのですが、気が付くと長くなっていたので、続きは追記にGO!
なお、長文にするつもりはなかったのですが、気が付くと長くなっていたので、続きは追記にGO!
<<<追記ここから>>>
一昨日ですが、家を出て高知駐屯地へ向かう前に、こんなものを見に行ってきました。

航空機用の掩体壕(防空壕みたいなもの)でしたw
高知県南国市、南国市立前浜公民館の周辺にある、戦時中の高知飛行場の掩体壕群の遺跡で、「前浜掩体群」と呼ばれているもののうちの一つ(2号掩体)です。
以前からこの掩体壕の存在は知っていたものの、なかなか見に行く機会がなかったのですが、今回の高知駐屯地祭のついでに、時間を取って見に行くことにしましたw
この前浜掩体群ですが、旧高知海軍航空隊が利用していたもので、昭和16年ごろから建設されたそうです。
戦時中は、練習航空隊の基地施設として、練習機「白菊」などの航空機を米軍機の空襲から守ったそうです。
戦争末期には、練習機「白菊」による特別攻撃隊を見送るなど、国内の多くの戦争遺跡同様、敗戦まで至る歴史を具に見つめてきた生き証人です。
戦後は、高知飛行場建設に伴って接収された土地が民間に返却され、掩体周辺が農地になったものの、倉庫代わりに使われるなどして取り壊されることなく、7基が今なお現存しています。
掩体群の見学についてですが、南国市立前浜公民館(北緯33度32分28秒/東経133度39分47秒(N33.541202,E133.662989))に駐車場があり、見学者はそこに駐車してもいいということだったので、まずは公民館へ向かいました。
公民館の駐車場に車を停めたら、そこから徒歩で各掩体壕を見て回ることにしました。
なお、公民館には掩体群や高知海軍航空隊の説明看板が立っているため、ここを起点にして見学をすると分かりやすいかと思います。


それから、ここからの文章を書くのに、この看板に載っている掩体の配置説明図が便利なので、これをちょっと拝借しておきますw

このような形で、前浜公民館を中心に7基の掩体壕が残っています。
7基中、4号掩体を除く6基は練習機「白菊」用で、4号掩体は一式陸攻用の大型掩体となっています。
なお、今回副委員長代理は、前浜公民館を起点に、2 → 1 → 4 → 5 → 3 → 7 → 6 という順番で見学してきました。
ということで、ここからは各掩体を紹介していこうと思います。
まずは2号掩体ですが、全体はこの記事の一番最初の写真です。
そして、掩体の中は現在このような状態になっていました。

農業用の資材?みたいなものが少しだけ置かれていました。
続いては、1号掩体。


この掩体は、グラマン戦闘機(表現的に多分F6FかF4F)による機銃掃射の弾痕が、合計60か所も残っているとのことで、実際弾痕と思しき損傷個所が見受けられました。
続いて、前浜掩体群最大の4号掩体。







この掩体は、すぐ前まで農道が通っており、内部を見ることが出来ました。
ただ、注意喚起の看板があることからも分かるように、結構老朽化が進んでいるようなのと、大戦末期の旧日本軍建造物にありがちな、砂利というには大柄過ぎる石の混入具合から、ちょっと入るのには勇気がいりましたねw
続いて、5号掩体。



この掩体は、掩体群の中で南国市が所有する唯一の掩体で、将来的に公園化するという計画があるそうです。
その公園化のためかどうかは分かりませんが、足場を組んでの補修工事が行われていました。
工事期間は昨年12月から今年3月までとなっており、もう工事は終了するようですが、クラックが大量に残っていたりしたので、最終的にどうなる(どうする)かは分からんですねw
続いては、3号掩体。


3号掩体はツタがびっしり絡まっており、また最寄りの県道からよく見える位置にあるため、とても目立っていましたねw
そして続いては、県道31号を横断し、前浜掩体群を代表すると言われる、7号掩体へ。

なお、この掩体が前浜掩体群を代表すると言われる所以は、この構造にあります。


そう、掩体壕を道路(農道)と水路が貫通しているのですw
そのために掩体壕の後部が破壊されていますが、代わりに大変珍しい景色を生んでいますw
恐らく道路建設時に、掩体壕の撤去費用が出なかったがゆえにこうなったのだと思いますが、それにしても珍百景な光景ですねw
それから、7号掩体の内部はこんな感じになっています。


天井を見上げると、一部に掩体建造時に使われたと思われる、土嚢袋と思しき跡が残っています。
そして、7号掩体の見学を終えたら、最後に残った6号掩体へ向かいます。


6号掩体はちょっと分かりにくい(大きな通りから見えない)ところにありますが、全体的には特に変わった点はなかったですねw
これで前浜掩体群の全7基の見学が終わり、前浜公民館へと戻りました。
そして、前浜掩体群の見学を終えたら、続いては前浜公民館から太平洋の方を目指します。
車一台がやっと通れるような道路を走りつつ、目的のブツを探してキョロキョロしていると…ありました!

四国防衛軍(旧陸軍第55軍)のトーチカです。
戦争末期に、連合軍の土佐湾沿岸への上陸作戦を懸念した旧陸軍が、土佐湾の沿岸地域に建造したトーチカ群の1つらしいです。
海の目の前に建てられており、現在は堤防が目と鼻の先の場所に位置しています。
現在は個人の持ち物で、農業用の倉庫として使われているようですが、当時の姿をよく残していますねw
ちなみにこのトーチカですが、非常に分かりにくい場所にあるので、緯度経度を書いておくと、北緯33度31分54秒/東経133度39分32秒(N33.531712,E133.658826)となります。(Googleマップとかでカッコ内の緯度経度で検索すると分かりやすいかも?)
なお、高知駐屯地祭の時間が近づいていたため、あまり細かく見て回ることはできませんでしたが、とりあえずざっくりと写真を撮っておきました。



陸側に入口のような開口部が開けられており、そこから内部を窺うことが出来ました。
中には農業用の資材?みたいなものが見えましたね。
そして、時間も無くなったので、当初の予定を切り上げ、ここで高知駐屯地へ向かいました。
まだいくつか回るつもりのところがあったのですが、そこは駐屯地祭終了後に向かうことにしました。
そして、駐屯地祭終了後ですが、まずは物部川河口近くにある、天然色市場というところへ行きました。
ここには、戦時中に撃墜され、戦後に漁網にかかって引き揚げられた、グラマン(恐らくF6FかF4F)のプロペラとエンジンが展示されている…らしいとの話だったのですが、しばらく周囲を探してみても、それらしいものは見つかりませんでした。
で、あまり時間を使うのも嫌だったので、それを見るのは諦めて、次の目標へ向かいました。
次の目標ですが、物部川河口の堤防沿い、高知高専のほど近くにある、これでした。



旧海軍の防空用トーチカです。
大戦中に、旧海軍が飛来する米軍機を迎撃するために造ったもので、この中から機関砲による対空射撃を行っていたそうです。
周囲は堤防の工事が行われており、だいぶ掘り返されたりコンクリートで固められたりしていましたが、このトーチカは辛うじて取り壊されずに残っていましたねw
なお、片側(海側)に大きな穴が開いているのは、本来は普通に壁だったそうで、戦後になって壊され、今のような状態になった…ということらしいです。
もうちょっと詳細な写真も載せてみます。



内部は非常に狭く、大の男が機関砲担いで入るのは、結構大変だったでしょうねw
あ、あとこのトーチカも結構分かりにくい場所にあるので、緯度経度を書いておくと、北緯33度32分44秒/東経133度40分56秒(N33.545445,E133.682258)となります。
高知高専の敷地の南東角付近、民家が一軒だけ建っているところのすぐ東側の場所です。
そして、トーチカの見学を終えて、次の目標へ向かうことにしました。
次の目標は、高知空港の駐車場北側の、高知大学農学部の敷地内にある、この建造物です。



高知飛行場の司令部施設と思われる施設(戦闘指揮所?)です。
調べてみたのですが、何の施設かは分からなかったので、とりあえず「司令部施設」としておきますw
この施設ですが、高知大学農学部の敷地の南西角、レンタカーの店が並んでいるところのすぐ近くにあり、緯度経度は北緯33度32分57秒/東経133度40分29秒(N33.549281,E133.674841)の場所にあります。
現在、隣接する道路が工事中で、街路樹?が植えたてのヒョロヒョロなので、結構見やすかったですw
基部にある銃眼?のような穴から内部も見えましたが、中には廃タイヤみたいなのがいっぱい入っていましたね。
あと、農学部の敷地内で牛が放牧されていて、超芳しいかほりが漂っていましたw
そして、司令部施設と思しきものを見た後は、高知空港南側にある石碑2つを見に行きました。




高知海軍航空隊之碑(上の三枚)と、開拓記念碑(下の一枚)です。
どちらも戦後に建てられた記念碑で、旧高知海軍航空隊の慰霊碑と、高知飛行場建設に伴って土地を追われた、旧日章村の記念碑です。
今日見てきたものの中では、ずいぶん毛色が違いますが、これも戦争遺跡と言って差し支えないものだと思います。
なお、緯度経度については、高知海軍航空隊之碑が北緯33度32分13秒/東経133度40分44秒(N33.537013,E133.678966)、開拓記念碑が北緯33度32分20秒/東経133度40分34秒(N33.538922,E133.676062)になります。
どちらも高知空港の南西角にあり、高知海軍航空隊之碑は実盛神社という神社のすぐそば、開拓記念碑はそこから空港のフェンス沿いに北西に4~500mほど進んだあたりにあります。
と、こんな感じで、駐屯地祭のついでに南国市の戦争遺跡群をいろいろ見て回りました。
副委員長代理は、第二次世界大戦史からミリタリーな世界に入ったクチなので、どれも非常に興味深かったですねw
地元のうどん県では、防衛上の重要性の低さもあり、これほどしっかりした戦争遺跡はないので、高知県民が羨ましい限りですw
今回は、高知空港周辺を重点的に回りましたが、まだ高知県内各所には戦争遺跡が残っているので、回れるときに回ってしまいたいところですねw
あ、あと明日は徳島駐屯地の記念すべき開設1周年記念行事ですねw
週間予報と違い、直前で天候がかなり怪しげな雰囲気になってきましたが、どうにかもってくれるといいなぁ…
一昨日ですが、家を出て高知駐屯地へ向かう前に、こんなものを見に行ってきました。

航空機用の掩体壕(防空壕みたいなもの)でしたw
高知県南国市、南国市立前浜公民館の周辺にある、戦時中の高知飛行場の掩体壕群の遺跡で、「前浜掩体群」と呼ばれているもののうちの一つ(2号掩体)です。
以前からこの掩体壕の存在は知っていたものの、なかなか見に行く機会がなかったのですが、今回の高知駐屯地祭のついでに、時間を取って見に行くことにしましたw
この前浜掩体群ですが、旧高知海軍航空隊が利用していたもので、昭和16年ごろから建設されたそうです。
戦時中は、練習航空隊の基地施設として、練習機「白菊」などの航空機を米軍機の空襲から守ったそうです。
戦争末期には、練習機「白菊」による特別攻撃隊を見送るなど、国内の多くの戦争遺跡同様、敗戦まで至る歴史を具に見つめてきた生き証人です。
戦後は、高知飛行場建設に伴って接収された土地が民間に返却され、掩体周辺が農地になったものの、倉庫代わりに使われるなどして取り壊されることなく、7基が今なお現存しています。
掩体群の見学についてですが、南国市立前浜公民館(北緯33度32分28秒/東経133度39分47秒(N33.541202,E133.662989))に駐車場があり、見学者はそこに駐車してもいいということだったので、まずは公民館へ向かいました。
公民館の駐車場に車を停めたら、そこから徒歩で各掩体壕を見て回ることにしました。
なお、公民館には掩体群や高知海軍航空隊の説明看板が立っているため、ここを起点にして見学をすると分かりやすいかと思います。


それから、ここからの文章を書くのに、この看板に載っている掩体の配置説明図が便利なので、これをちょっと拝借しておきますw

このような形で、前浜公民館を中心に7基の掩体壕が残っています。
7基中、4号掩体を除く6基は練習機「白菊」用で、4号掩体は一式陸攻用の大型掩体となっています。
なお、今回副委員長代理は、前浜公民館を起点に、2 → 1 → 4 → 5 → 3 → 7 → 6 という順番で見学してきました。
ということで、ここからは各掩体を紹介していこうと思います。
まずは2号掩体ですが、全体はこの記事の一番最初の写真です。
そして、掩体の中は現在このような状態になっていました。

農業用の資材?みたいなものが少しだけ置かれていました。
続いては、1号掩体。


この掩体は、グラマン戦闘機(表現的に多分F6FかF4F)による機銃掃射の弾痕が、合計60か所も残っているとのことで、実際弾痕と思しき損傷個所が見受けられました。
続いて、前浜掩体群最大の4号掩体。







この掩体は、すぐ前まで農道が通っており、内部を見ることが出来ました。
ただ、注意喚起の看板があることからも分かるように、結構老朽化が進んでいるようなのと、大戦末期の旧日本軍建造物にありがちな、砂利というには大柄過ぎる石の混入具合から、ちょっと入るのには勇気がいりましたねw
続いて、5号掩体。



この掩体は、掩体群の中で南国市が所有する唯一の掩体で、将来的に公園化するという計画があるそうです。
その公園化のためかどうかは分かりませんが、足場を組んでの補修工事が行われていました。
工事期間は昨年12月から今年3月までとなっており、もう工事は終了するようですが、クラックが大量に残っていたりしたので、最終的にどうなる(どうする)かは分からんですねw
続いては、3号掩体。


3号掩体はツタがびっしり絡まっており、また最寄りの県道からよく見える位置にあるため、とても目立っていましたねw
そして続いては、県道31号を横断し、前浜掩体群を代表すると言われる、7号掩体へ。

なお、この掩体が前浜掩体群を代表すると言われる所以は、この構造にあります。


そう、掩体壕を道路(農道)と水路が貫通しているのですw
そのために掩体壕の後部が破壊されていますが、代わりに大変珍しい景色を生んでいますw
恐らく道路建設時に、掩体壕の撤去費用が出なかったがゆえにこうなったのだと思いますが、それにしても珍百景な光景ですねw
それから、7号掩体の内部はこんな感じになっています。


天井を見上げると、一部に掩体建造時に使われたと思われる、土嚢袋と思しき跡が残っています。
そして、7号掩体の見学を終えたら、最後に残った6号掩体へ向かいます。


6号掩体はちょっと分かりにくい(大きな通りから見えない)ところにありますが、全体的には特に変わった点はなかったですねw
これで前浜掩体群の全7基の見学が終わり、前浜公民館へと戻りました。
そして、前浜掩体群の見学を終えたら、続いては前浜公民館から太平洋の方を目指します。
車一台がやっと通れるような道路を走りつつ、目的のブツを探してキョロキョロしていると…ありました!

四国防衛軍(旧陸軍第55軍)のトーチカです。
戦争末期に、連合軍の土佐湾沿岸への上陸作戦を懸念した旧陸軍が、土佐湾の沿岸地域に建造したトーチカ群の1つらしいです。
海の目の前に建てられており、現在は堤防が目と鼻の先の場所に位置しています。
現在は個人の持ち物で、農業用の倉庫として使われているようですが、当時の姿をよく残していますねw
ちなみにこのトーチカですが、非常に分かりにくい場所にあるので、緯度経度を書いておくと、北緯33度31分54秒/東経133度39分32秒(N33.531712,E133.658826)となります。(Googleマップとかでカッコ内の緯度経度で検索すると分かりやすいかも?)
なお、高知駐屯地祭の時間が近づいていたため、あまり細かく見て回ることはできませんでしたが、とりあえずざっくりと写真を撮っておきました。



陸側に入口のような開口部が開けられており、そこから内部を窺うことが出来ました。
中には農業用の資材?みたいなものが見えましたね。
そして、時間も無くなったので、当初の予定を切り上げ、ここで高知駐屯地へ向かいました。
まだいくつか回るつもりのところがあったのですが、そこは駐屯地祭終了後に向かうことにしました。
そして、駐屯地祭終了後ですが、まずは物部川河口近くにある、天然色市場というところへ行きました。
ここには、戦時中に撃墜され、戦後に漁網にかかって引き揚げられた、グラマン(恐らくF6FかF4F)のプロペラとエンジンが展示されている…らしいとの話だったのですが、しばらく周囲を探してみても、それらしいものは見つかりませんでした。
で、あまり時間を使うのも嫌だったので、それを見るのは諦めて、次の目標へ向かいました。
次の目標ですが、物部川河口の堤防沿い、高知高専のほど近くにある、これでした。



旧海軍の防空用トーチカです。
大戦中に、旧海軍が飛来する米軍機を迎撃するために造ったもので、この中から機関砲による対空射撃を行っていたそうです。
周囲は堤防の工事が行われており、だいぶ掘り返されたりコンクリートで固められたりしていましたが、このトーチカは辛うじて取り壊されずに残っていましたねw
なお、片側(海側)に大きな穴が開いているのは、本来は普通に壁だったそうで、戦後になって壊され、今のような状態になった…ということらしいです。
もうちょっと詳細な写真も載せてみます。



内部は非常に狭く、大の男が機関砲担いで入るのは、結構大変だったでしょうねw
あ、あとこのトーチカも結構分かりにくい場所にあるので、緯度経度を書いておくと、北緯33度32分44秒/東経133度40分56秒(N33.545445,E133.682258)となります。
高知高専の敷地の南東角付近、民家が一軒だけ建っているところのすぐ東側の場所です。
そして、トーチカの見学を終えて、次の目標へ向かうことにしました。
次の目標は、高知空港の駐車場北側の、高知大学農学部の敷地内にある、この建造物です。



高知飛行場の司令部施設と思われる施設(戦闘指揮所?)です。
調べてみたのですが、何の施設かは分からなかったので、とりあえず「司令部施設」としておきますw
この施設ですが、高知大学農学部の敷地の南西角、レンタカーの店が並んでいるところのすぐ近くにあり、緯度経度は北緯33度32分57秒/東経133度40分29秒(N33.549281,E133.674841)の場所にあります。
現在、隣接する道路が工事中で、街路樹?が植えたてのヒョロヒョロなので、結構見やすかったですw
基部にある銃眼?のような穴から内部も見えましたが、中には廃タイヤみたいなのがいっぱい入っていましたね。
あと、農学部の敷地内で牛が放牧されていて、超芳しいかほりが漂っていましたw
そして、司令部施設と思しきものを見た後は、高知空港南側にある石碑2つを見に行きました。




高知海軍航空隊之碑(上の三枚)と、開拓記念碑(下の一枚)です。
どちらも戦後に建てられた記念碑で、旧高知海軍航空隊の慰霊碑と、高知飛行場建設に伴って土地を追われた、旧日章村の記念碑です。
今日見てきたものの中では、ずいぶん毛色が違いますが、これも戦争遺跡と言って差し支えないものだと思います。
なお、緯度経度については、高知海軍航空隊之碑が北緯33度32分13秒/東経133度40分44秒(N33.537013,E133.678966)、開拓記念碑が北緯33度32分20秒/東経133度40分34秒(N33.538922,E133.676062)になります。
どちらも高知空港の南西角にあり、高知海軍航空隊之碑は実盛神社という神社のすぐそば、開拓記念碑はそこから空港のフェンス沿いに北西に4~500mほど進んだあたりにあります。
と、こんな感じで、駐屯地祭のついでに南国市の戦争遺跡群をいろいろ見て回りました。
副委員長代理は、第二次世界大戦史からミリタリーな世界に入ったクチなので、どれも非常に興味深かったですねw
地元のうどん県では、防衛上の重要性の低さもあり、これほどしっかりした戦争遺跡はないので、高知県民が羨ましい限りですw
今回は、高知空港周辺を重点的に回りましたが、まだ高知県内各所には戦争遺跡が残っているので、回れるときに回ってしまいたいところですねw
あ、あと明日は徳島駐屯地の記念すべき開設1周年記念行事ですねw
週間予報と違い、直前で天候がかなり怪しげな雰囲気になってきましたが、どうにかもってくれるといいなぁ…
この記事のコメント
「掩体壕をなおしています」というのがなかなか…周辺住民の人たちはどう思うだろう?「だから何?」って感じじゃないですかね。日常生活には関係ない訳だしwww
今後も「歴史的な遺産」になるかは分かりませんが、そこから郷土史に触れてもいいですなぁ。
今後も「歴史的な遺産」になるかは分かりませんが、そこから郷土史に触れてもいいですなぁ。
>>もこさん
>だから何?
基地周辺の住民とかもそうですが、まぁ地元民の反応ってのは往々にしてそんな感じでしょうね。
「なおす金あるなら取り壊せよ、老朽化して危険だろ」って人もいるでしょうし(汗
>今後
世知辛いですが、カネ次第でしょうなぁ…
観光産業になるなら自治体も躍起になるでしょうが、少子化のご時世で「未来の子どもたちの教育のため」ってお決まりの大義名分も、以前ほどの効力がないですし。
>だから何?
基地周辺の住民とかもそうですが、まぁ地元民の反応ってのは往々にしてそんな感じでしょうね。
「なおす金あるなら取り壊せよ、老朽化して危険だろ」って人もいるでしょうし(汗
>今後
世知辛いですが、カネ次第でしょうなぁ…
観光産業になるなら自治体も躍起になるでしょうが、少子化のご時世で「未来の子どもたちの教育のため」ってお決まりの大義名分も、以前ほどの効力がないですし。